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放浪家なミニマリストがアルザシアンと結婚して30代の生き方を考える

初めまして!みほつーについての詳しい自己紹介はこちらです!

f:id:miho2blog:20180529084247j:plainこんにちは!
初めまして、みほつー ( @Miho2blog ) です。

ブログをやってみよう!と思ったはいいけど何を書いたらいいのかな?そもそもどうやって始めるんだ?とわからないことだらけだったけど、まぁとりあえず始めないと何にも始まらんないしっ!ってことで初めてみました。

これを読み終わったらなんとなくみほつーってこんなやつなのか〜とわかってもらえるかと思います。

みほつーってそもそも誰?

  • 30代半ば女性
  • 東京で生まれて東京と埼玉育った
  • 現在はフランス在住
  • 人生の半分くらいを飲食店で勤めてるくらい飲食業が大好き
  • 20代前半から一人旅にはまって気まぐれに放浪するクセがある
  • ワーホリでニュージーランドとオーストラリアへ
  • 前髪短いスタイルが好き
  • 152cmで中肉中背、ややガニ股
  • 湿気が大嫌いでその時期は梅雨のない国へ逃亡する
  • お酒飲むの大好き(その場の雰囲気も好き)
  • 話せる言葉は英語と中国語(最近ちょっと怪しい)、フランス語はただいま勉強中

ざっとこんな感じです。なんとなくふわっとイメージが伝わると嬉しいです。

ブログを始めるキッカケ

f:id:miho2blog:20170728051728j:plain私ってやつはすこぶる機械に弱いアナログタイプな人間なんです。昔はmixiとか(近い世代の人は知ってるはずのSNSの先駆け!)で日記みたいなことを書いてたりしてたくらい。

あとは手帳に紙ベースの日記だけは欠かさずつけていて、なんだかんだ今年でもう17年目に入りました。
上手くはないかもしれないけど【文字を綴ること】が好きで、手紙を書くのなんかも好きです。

日記って人に見せるものじゃないから感情のまま書いたり、構成もめちゃくちゃだけど、今までの飲食業界での経験とか、旅を通して見たことや感じたこと、フランスでの生活。そういうのを書いてみたら面白そうだし、もしかしたら誰かの役に立つかもしれない!って以前から考えていたんです。

そして結婚を機にフランスに住むことになって、それが上手くいかなくても死ぬわけじゃないし!だったらやったる!と思ったのがこのブログを始めるきっかけとなりました。

大人しいけど超ガンコ、もやついてた子供時代

f:id:miho2blog:20170728050412j:plain小学生くらいまでの私は自己主張もそんなに激しくなく、将来の夢とかやりたいこともなく、ただ目立つことが苦手で常に人の顔色を伺って生きているようなタイプでした。その反面、短気で頑固、一度怒りのスイッチが入ると自分でもびっくりするぐらい手に負えなくなるような子でした。

中学と高校は都内の中高一貫の女子校に進学しました。
小さい頃リカちゃん人形やおままごととかが嫌いだったのと、近所の仲良い子が男の子ばっかりでわりとわんぱく、常に生傷ばっかりでした。スカートもブラもイヤだー!って言ってるようなボーイッシュなタイプでした。

通ってた学校がふわふわ系の可愛い感じの女の子が多かったからか、なかなかそこに溶け込めない私はどんどんドライな性格になっていきました。クラスの中でも波風を立てないように、本当に言いたいことも言えずに静かに過ごそうと思うことが多くなりました。
女子のめんどくさいしがらみに関わりたくなかったのが正直なところでした。女子校あるあるですね。

この頃からびっくりするくらいに就職という言葉を嫌ってて、偉そうなバーコードスタイルのおじさま達に面接とかで、御社の◯◯な所が〜とか、思ってもないことを言ってるネコ被りまくりの自分が想像できたんです。

頑固一徹な私はそんなのは絶対イヤ!と謎の強い意識が当時から自分の中にありました。組織に属するくらいなら自分で何かをやりたい!何をしたいかはまだ分からなかったけど、漠然とした思いが芽生え始めたのです。

ネジがちょっと緩み始める

f:id:miho2blog:20180529091852j:plain高校生の時に毎日のように一緒にいた友達の影響でバイトを始めました。埼玉のド田舎に住んでいたので、バイトの選択肢があまりなくって適当に決めた居酒屋でした。でも今思うとここは現在の私を作り上げてくれた大切な場所になりました。

バイト先への想い

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お金を頂いて働くということ。人との上下関係や距離の取り方、言葉遣いなど、学校の机の上での勉強だけじゃ学べない事だらけでわからない事もたくさんありました。でも先輩たちがとっても優しく実践を交えながら根気強く教えてくれたし、同年代の子達も自分とは違ってキラキラして見えて羨ましく思ってました。

何が違うんだろう?って日々観察していっぱい話して分かったことは、みんな自分をしっかり持っていて嫌なものは嫌、好きなことは好きがはっきりしてて、それぞれのカラーがあったんです。俗にいう個性ですね。

部活にも入らず帰宅部で運動嫌いな私。当時のマックはハンバーガーが1個65円でした。食べるの大好きで、暴飲暴食をしていた私はなかなかのぽっちゃり。早い話やや太めでした。そんな自分に嫌気がさして、オシャレや化粧を気にし始めてみたのもこの辺からでした。高校2年生の春休みに一念発起して、誰とも会わず家にこもって誘惑を断ち切ってダイエットをした結果1ヶ月で8キロも減量に成功しました。

休み明けにだいぶ変わった私を見て、話したことない子からも話しかけられて、自分が死ぬ気で努力をした結果をみんなが褒めてくれて嬉しいっていう小さな成功体験ができて、この辺りから自分に少しだけ自信を持つことが出来るようになりました。

がむしゃらにバイト三昧な日々

f:id:miho2blog:20180529090840j:plain大学に進学してからは、ひたすらバイト三昧で朝まで働いたりして家で仮眠してから授業なんてのもざらではなかったですね。学校を休むことはほとんどなかったけど、肝心の授業は大して聞いてなかった。真面目なんだかそうじゃないんだかって感じでした。

飲食店を中心にバイトをいくつか経験して、自分でお金を稼ぐことの大変さ、年数を重ねて任されることも大きくなり責任感を持ちながら働くことが楽しいと感じるようになりました。高校から勤めていた居酒屋では常連のお客さまと仲良くなったり、他店の応援に行くことも多かったので知り合いも増えていって毎日が充実してました。

同時に自分にとって最高に居心地がいい、大好きな場所だけど、これを一生続けるの?ずっと同じ場所にいることは自分で自分の成長を止めてるんじゃないのか?大学進学をさせてくれた親のためにも1回くらいは就職をしてみようかな?と考えるようになりました。

そんな中、ご縁がありバイト先の1つで出会った人から「うちの会社で働けば?」とのお誘いが。 就職活動をしたことがなかったのでいざ就職しようにもノーアイディアだった。でも働くなら大好きな飲食業界で働きたいと思っていた私にはこの上ないチャンスでした!

ただ実質8年近く働いた、もはや第二の家みたいな存在だった当たり前の場所から離れるのは断腸の思いでした。送別会を開いてもらった時は他店の人たちも会いに来てくれて嬉し悲しさで泣きまくって過呼吸になったのも今では良き想い出です。

飲食コンサルタントになる

f:id:miho2blog:20170728051237j:plain初めての正社員。25歳だった私は飲食コンサルタントの会社に就職しました。中途入社で、現場経験もないので最初は自社の飲食店舗での研修。今までの経験を生かしてやる!と意気込んでいた私は出鼻をボッコボコに挫かれる毎日でした。 何をやってもダメ出し、終いには「何考えて生きてるんだ?」と言われる始末。

会社から言われるがままに実家を出て初めての一人暮らし。その家は築50年強の木造で道路に面した1階、洗濯機は玄関横の外、黄ばんだ今時珍しい蛇腹カーテン、ガタがきてるのかすきま風入りまくり…。初めての一人暮らしに理想を描いていたけど、そんなのは一瞬で消えました。
選択肢すらなくってまさかの住宅手当もゼロ。

落ち着けるプライベートな空間であるはずなのに家に帰る楽しみはまるでありませんでした。

決まった配属先はスーパーブラックでした。まぁそういう店舗に行って提案、改善をするのが私たちの仕事の一つだったんですけどね。クライアントには裏切られることが多くてとても信頼関係なんて築けませんでした。
代わる代わる業者さんが取り立てに来たり、大事なスタッフの給料を平気な顔で滞納したりとドラマの中みたいな想定外のことが起こる毎日でした。

大変なこともとても多かったけど、それ以上に一緒に働いてくれたスタッフ、来てくれるお客さま、みんなのことが本当に大好きでした。多忙と過度のストレスから気づかないうちに私はだんだん体調を崩し、毎日点滴をしてから出勤、終電がないので週の半分はタクシーで帰宅か店舗に泊まる。そんなある日に病院でうつ病と診断されました。

守りたい、守るべきものがたくさんあるのに大きすぎる闇に負けてしまった私は、また好きな場所を離れなければならなくなりました。

とても反響が大きかった記事です。詳しくはこちらを読んで下さい。

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うつ病発症〜社会復帰するまで

f:id:miho2blog:20180529092418j:plain結局私の社会人としての生活は1年ほどで終わりを迎えました。 何事もやってみないと気が済まない性格なので挑戦できたことはすごくよかった!と今では思います。自分の弱点や限界も把握できたし。
あの頃にはもう絶対に戻りたくないけど、改めて思い返すと貴重な経験(ネタ)だらけだったと思います。

会社を辞めて実家に戻り療養をして人と会わない生活が続いたけど、初めてバイトを始めた時からずっと突っ走って働いて来たので何か物足りなくなって来ました。そして私を元気にしてくれたのはやっぱり”人”でした。

社会復帰一発目は以前から興味のあった販売の仕事につきました。そして暗黒の社会人生活の終盤くらいから、私は海外に対してとても興味を持つようになりました。 と言うのも外国人のお客さんが多かったのに自分でもびっくりするくらい英語が話せなくてもどかしい思いをいつも感じていました。
英語を話せればもっと話したいことがいっぱいあったのになぁと思ってました。

 

どうやったら使える英語を習得できるか調べていた時にワーキングホリデーの制度を知りました。 これだーっ!と思った私は販売の仕事と別に飲食関係の2つの仕事を掛け持ちして留学資金を貯めることにしました。
長い時は1日17時間くらい働いてたかな?どうやってタイムマネジメントしてたんだっけ?それにしてもおそるべし当時の私の体力!

ワーホリで英語を身につけ海外を放浪 

f:id:miho2blog:20170728063225j:plain私が選んだ国はニュージーランドでした。理由は南半球に行ってみたかった、景色のきれいな田舎暮らしがしてみたかった、キウィフルーツをもういらない!ってくらい食べたかった、物価があまり高くなかった(2011年当時)、旅をするのに大きすぎずちょうど良さそうな大きさだったからです。 

最初の4ヶ月半は学校に通いひたすら勉強しました。宿題や予習もワイン飲みながら家でコツコツと。後半は国内を放浪しながら、ステキな酪農家のニュージーランド人の方のおうちで住み込みで働きました。そのおかげもあって英語は日常生活では困らないレベルになりました。
出発前と比べると自分でも分かるほどに英語が上達しました。これも自分に自信を持たせてくれる成功体験の一つとなりました。

1年間のワーキングホリデーが終わって日本に帰っからは、梅雨時期や自分が行きたい時にせっせと海外に逃亡して、帰国したら休んだ分がっつり働くという生活スタイルを続けていました。
湿気がね本当にダメなんです。大学時代は梅雨休みっていうのを作って家に引きこもっちゃう、そんなレベルです。

英語”というツールを手にいれて選択肢が増えた私はフットワークが軽くなって、落ち着きのなさが加速したけど、これはこれでメリハリがあって日々が充実していました。仕事で多少嫌なことがあっても「全ては旅行のため」と思うとモチベーションを保ったまま楽しく働くことができました。

ラストチャンスと運命の出会い

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30歳になった時、もう一度最後のチャンスとしてワーホリに行きたいと考えた私は31歳になる直前でオーストラリア行きのビザを取得しました。 職場や家族からは反対されて出発までに時間がかかったけれど、自分の人生は自分で歩きたい!直感で行くべきだと思ったので半ば強行突破で行動に移しました。

お金が尽きたら帰ろうという気持ちで渡豪しました。
前回のニュージーランドの時とは違い学校に行かずにローカルのレストランで働き英語のスキルを磨くこと、前職でバリスタの経験があったのでカフェで仕事をすることを目標に掲げました。
オーストラリアを選んだのはオセアニアが好きなのと、最低賃金が世界一高いから選びました。

渡豪から4ヶ月が過ぎたその年の年末に私は現夫であるフランス人男性と出会いました。彼と出会ってからは一緒に生活をしながら旅をし、飲み散らかし、バカみたいに働いたり。日常が非日常のような感覚でとてつもなく楽しかったです。
その頃の私たちはお互い先の心配ごとなんかは考えず”今”を楽しく生きることだけを考えて一緒にいる時間を過ごしていました。 

日本での生活〜結婚〜渡仏の現在

f:id:miho2blog:20180529092244j:plainオーストラリアでのビザが切れて、話し合いの後に私たちが選んだのは、彼にワーホリ制度を利用してもらい日本で一緒に生活をしてみようというものでした。 私たちは普段英語でコミュニケーションを取っていて、彼はほとんど日本語を話せないので、彼にとっては苦労もあったかもしれないけど、旅が大好きな私たちは相変わらず生活をしながら旅も続けていました。

元旦に沖縄に着き、お正月感のない全くない沖縄で日本に帰って来た実感も感じないまま日本での生活をスタートし九州、中四国、最後は京都にたどり着きました。

彼が日本の文化や食事、人などを前よりも好きになってくれて、私自身も海外旅行に目を向けていた時期が多かったこともあり、自分が知らない日本の良いところを知る良い機会でもありました。

そしてその年の終わりくらいに結婚することを決めました

話し合った結果、しばらくはフランスに拠点を置いて生活しようということになって、現在はフランス北東部にあるアルザス地方の小さな街に住んでいます。
ちなみにフランス語がまるで出来ないので緩やかに猛勉強してます。

フリーランスとしてやって行く決意

f:id:miho2blog:20170728070330j:plain数年前から旅先などでオンラインで仕事をしている人たちに出会う機会が何回かありました。
「楽しそうだな〜私もやってみたい!だけど自分には無理なんじゃ…」と始めてもいないことであれこれ思い悩んでいる私がいました。無理かどうかはやってみないと分からないし、むしろ誰もダメなんて言ってないじゃん!とようやく気づいたんです。

可能性を潰していたのは紛れもなく自分でした。

何かを始めるのに遅すぎることはない。

とりあえず始めてみる!というアクションを起こすことの方がもっと大事だと思うのです。

だから私はやってみたかったブログを始めました。ここを起点としてたくさんの人と関わって色々な経験をしていきたいと思っています。人生は日々勉強ですね。


とても長文になりましたが、ここまで読んでくださった方本当にありがとうございます。
このページを読んでくれる人に有意義で楽しめる、自分自身もワクワクするようなコンテンツを作って発信し続けていきます。

これからもよろしくお願いします!