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放浪家なミニマリストがアルザシアンと結婚して30代の生き方を考える

大好きな家族がまた1人天国に旅立ってしまって思うこと。

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こんにちは、みほつー ( @Miho2blog )です。

愛犬が天国に旅立ちました

ポメラニアンの女の子、15歳と半年になるキャロル。
老衰でした。母と祖母に自宅で見守られながら母の腕の中で天国に旅立ちました。

 

来たるべき時が来た

この子がやって来た詳しい経緯などを書いてるので、ぜひこちらも読んでいただけると嬉しいです。

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最後にキャロルにあったのは去年の一時帰国で母の元を訪ねた1年ほど前でした。その時はすこぶる元気とはいかないけど、年の割には元気な様子でした。

月一のトリミングでつい一週間前に行った時に送られて来た写真も変わらずでした。

容態が急変したのが15日の火曜日。歩くこともままならなくなって、食べる気力もなく水を飲んでも吐いてしまい獣医さんに連れて行ったところ「もうそろそろかもしれないね」とのこと。

気づいてはいたけどなるべく考えないようにしていた「その時」がいよいよ来たんだなと思いました。

命に対して思うこと

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亡くなる数時間前のキャロル。


かかりつけの獣医さんと母で話をして延命措置は取らないことにしたとのことでした。これに関しては私も賛成でした。

3年前に父が亡くなった時もそう。病院側からは延命のための手術を提案されたけど私たちは断固として断りました。
苦しんでいる父にさらにメスを入れて治るわけでもないのに痛い思いをするのをこちらの都合でするのはどうなんだろうと。 後は医師だった父が以前から延命治療という行為に対して反対していた事もあって、私たちはそれを尊重したかったのです。

生きていて欲しいというのは当然の感情だけど、それは同時に自分たちのエゴであって当の本人の意思に反する事でもあると思います。頑張って生き抜いたその結果を見届けてあげたい。

そして獣医さんからは【安楽死】も選択肢の一つだよと助言があったそうです。ただこれに関しては私個人は上に書いたように個人の尊重がされずにこちら都合じゃないかと思ったので、できるだけ避けて欲しいという思いがありました。
でも母は獣医さんからその提案があった時に「正直どこかホッとしたよ」と言ったのです。

最初はその意図がわからなかったけど、実際キャロルの苦しんでいる姿を目の当たりにして、これが長く続いてしまうんだったら悲しいけど少しでも苦しみが少ないうちに生涯を終えるのもせめてもの私たちができることなのかもしれないと思いハッとしました。

ずっと一緒にいてこのシチュエーションに直面している母と画面を通してしか知らない私の違いだなと思いました。

亡くなった直後

母が海外に住んでいる私たち姉弟に逐一状況を知らせてくれました。そのおかげもあって遠くに住んでいても近くにキャロルを感じることができた気分でした。

最後は母に抱っこされて息を引き取ったそうで最後まで甘えん坊のキャロルらしいなと思うと同時に母と祖母がその瞬間に一緒にいてくれたことに大感謝でした。

家族ラインで

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実際に祖母に抱っこされた亡くなったキャロルの写真も送られて来たのですが、本当に天使みたいに安らかな顔をしていました。

母の「充実感あるよ!」という最後の文を見てやっぱり母強しだなと思いました。遠くにいてビービー泣いているだけの私とは対照的に悲しみの中でも目を背けないでしっかりと現実を受け止めている母を見て改めて頼もしく思えました。

ペットではなく家族

キャロルは犬でペットと呼ばれていたけど同時に家族でした。分類上では人間と犬となるけど、そんなことは関係なしに本当に大事な大事な家族でした。

だから母はキャロルが最初で最後のわんちゃんだと常々言っていました。

新しい家族を迎えることは悪いことではない。けどもしそれが今の寂しさを埋めるためだけだったら迎え入れない方がいいと思う。
亡くなった子は帰ってこないし、生がある限り必ず死が訪れるから結局はまた同じ思いを繰り返してしまう。

ただ個人的に母は1人で住んでいて、キャロルを中心に生活をしていたから亡くなったこれからの生活に対して離れて住んでいる娘としては不安があるのも事実なんですけどね。いつか新しい子を迎える時があるとしたらそれは”縁”なのかなとも思います。キャロルがうちに来てくれたのも何かの”縁”があってのことだと思うし。

さいごに

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随分昔に家族で行った富士山の五合目にて


これを書いている今も最後の最後に一緒に入れなかったこと、この手で抱っこができなかったこと、駆けつけられなかったこと…。とても悔やしいです、やっぱり。

正直「なんで海外なんかにいるんだ私!」と頭をよぎったのは父の死の時と合わせて2回目です。

でもここにいることを選んだのは紛れもなく私なので後悔はしていません。今の生活も自分自身で選んだかけがえのないものだと思うから。
何もかも自分の思い通りにすることなんて出来ないし、どんな場面でも人は必ず決断を下して現実を受け入れないといけないことがあります。

過ぎてしまったことを後悔するよりも一緒に居れた日々を思い出して感謝をすることが何よりも大事。しばらくは悲しみの中にいることになると思うけど徐々にこんな風に考えをシフトしていかなきゃなと思ってます。

我が家に来てくれてありがとう。
天国でパパと再会してこれからもあっちで幸せに暮らしてくれることが家族全員の願いです。